朝倉未来

格闘家・朝倉未来が少年院に入っていた時期や理由は?出所後は?高校時代の路上伝説!

総合格闘技の国内トップ団体『RIZIN』のスター選手、登録者232万人のトップYouTuberの朝倉未来(あさくら みくる)選手

もともとは愛知県豊橋市のストリートファイトで戦う度胸や技を磨いてきた朝倉未来選手なので、少年院に入っていたという話はご存知だと思いますが、

「少年院に入っていた時期や理由は?」
「出所後はなにをしていた?」
「高校時代の路上の伝説は?」

気になる方も多いと思います。

そこで今回は「格闘家・朝倉未来が少年院に入っていた時期や理由は?出所後は?高校時代の路上伝説!」について詳しく調べてみました。

では、みていきましょう!

格闘家・朝倉未来が少年院に入っていた時期や理由は?経歴やプロフィールを紹介!

朝倉未来のプロフィール

プロフィール

  • 名前:朝倉 未来(あさくら みくる)
  • 生年月日:1992年7月15日(蟹座)
  • 年齢:29歳(2022年1月現在)
  • 血液型:AB型
  • 身長:177cm
  • 体重:66kg
  • 出身:愛知県豊橋市
  • 所属:禅道会豊橋道場→トライフォース赤坂
  • 階級:フェザー級

朝倉兄弟の兄・未来選手は中学時代から年上の先輩相手にケンカを繰り返す日々を送ってきて、群れない一匹狼として地元でも一目おかれる存在だったようです。

そんな朝倉 未来選手は中学校の先輩に対して敬語を使わなかったということで、不良の先輩たちから嫌われていたそうです。

当時をこう振り返っています。

「小学生の時はみんなタメ口で仲良かったのに、中学に上がった途端になんでそんなに偉そうなのって逆に思ってた」

なので、態度の大きい未来選手が鼻につくという事で、不良の先輩たちはケンカをしかけるも、当時から相撲や空手ベースの喧嘩で強かった未来選手に返り討ちされたそうです。

そこからは、他校の不良たちも目を付けてケンカを仕掛けられるも無敗で勝ち続けたので、今では『路上の伝説』と呼ばれるようになりましたね。

当時つるんでいた先輩と自身のYoutube動画の対談で、中学時代の話など濃密にお話されてますので、是非みてくださいね♪(Youtube開設初期のころで、岡くんがまだメンバーになってないので、懐かしいです。)

また、自身の書籍でも中学時代の破天荒な経歴を赤裸々に書いていますので、興味のある方は、これを機にあわせて読むのもアリです!

朝倉未来が少年院にはいっていた時期や理由は?

朝倉未来選手は、登録者数235万人(2021年3月 現在)のトップユーチューバーとしての活躍はもちろん朝倉未来に勝ったら1000万円がもらえるという「abemaTVの1000万円企画」や、1分間の格闘技団体「Braking Down」を主催・企画し今や飛ぶ鳥を落とす勢いで大躍進をしていますが、

過去に、少年院にはいっていたことが分っています。

元々喧嘩が強いこともありますが、実際に少年院に入っていた時期や理由は下の通りです。

●少年院に入った時期:朝倉選手が16歳~18歳まで(期間:1年4ヶ月)

●理由:バイクの無免許運転、ケンカなどの余罪

●少年院の場所:瀬戸少年院(愛知県瀬戸市)

瀬戸少年院の場所はこちらです。

愛知県瀬戸市にあり国内で3番目に設立された古い少年院です。

収容定員は約170名で少年院生活は階級制となっています。

近くには、大きな愛知県森林公園やゴルフ場があり自然に囲まれていますね。

鑑別所では、50対2の喧嘩エピソードででてくる先輩『岡くん』やご家族とも手紙のやりとりをしていたようで、岡さんはその時の手紙を今も大事に取っているようです。

鑑別所で反省を示せば保護観察処分で済むのに、きれいごとが嫌いな未来選手は、あえて反省の色を示さず少年院行くことなります。

当時の心境をこのように語っています。

「そこでキレイ事を言って逃げたら自分の過去を否定しているような気がして。裁判の時隣に親がいたけど反省している色は出さずにね。もう少年院行ってくるわって」

結果、瀬戸少年院に1年4ヶ月収監されることになったというわけです。

RIZINで有名になってから、愛知県豊明市の「豊ヶ丘学園」という少年院に訪問した朝倉未来選手が、収容されている少年たちに勇気と自身をもつように語り掛ける姿は、素晴らしいので是非ご視聴くださいね

少年院での生活は私語厳禁で『笑ってはいけない』というルールがあるのに対し、朝倉未来選手は同じ寮生に2度笑かされたことで『単独室』という時計のない小さな部屋に2回も入っています。

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格闘家・朝倉未来が少年院で考えていたことや出所後は?高校時代の路上伝説!

朝倉未来が少年院で考えていたことや出所後は?

朝倉未来選手が少年院で考えていたことは、

窓の外を眺めながら友達のことを考えていたようです。

また、毎月母親が朝倉未来選手と面会するために、豊橋から1~2時間かけて瀬戸少年院まで来ていたそうで、弟の海選手も来ていたそうです。

そんな家族とのかかわりを通じて朝倉未来選手は「自由を求めて暴れまわってたつもりが実際は大切な人を悲しませていた」ことに気づきます。

この気づきこそが朝倉未来選手を不良の世界から足を洗った要因だと言われていますね。

朝倉未来の少年院出所後は?

朝倉未来選手の少年院出所後は、アマチュア総合格闘技団体『アウトサイダー』に出場することを目標に、仕事の合間を縫って『禅道会豊橋道場』で本格的に格闘技の練習をはじめました

そしてアウトサイダーに出場をしてからは連戦連勝を積み重ねていき2階級でチャンピオンになり、韓国の「ROAD FC」への参戦を経て、国内トップ団体「DEEP」のプロのリングに上がります。

地道な努力を重ね、現在では日本最大の格闘技団体『RIZIN』の看板選手として活躍されていますよね!

朝倉未来の高校時代の路上伝説!

朝倉未来選手の数々の路上喧嘩伝説の中で、高校時代に50対2の壮絶な状況になったことを明かしています

ケンカ無敗の連勝街道を突っ走っていた未来選手ですが、高校に入ってから暴走族から呼び出されることになり、当初、3対3でのケンカの約束だったが、念のため、10人ほどを引き連れて現場に向かうと相手は50人ほどいるという状況になり、それに恐れた仲間が逃げてしまい最終的に50対2になったといいます。

人数ではかなわないこともあり袋叩きにされてしまい相当な怪我を負ってしまったそうです。

未来選手は、当時をこう語っています。

「当時を思い出すとめちゃめちゃ悔しくて。タイムマシンがあったら戻ってボコボコにしたい (笑)」

当時の状況を、abemaの「しくじり先生」でも語っていましたので、参考にして見てくださいね。

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格闘家・朝倉未来が少年院に入っていた時期や理由は?出所後は?高校時代の路上伝説! まとめ

いかがだったでしょうか。

今回は「格闘家・朝倉未来が少年院に入っていた時期や理由は?出所後は?高校時代の路上伝説!」について調べました。

今後は、格闘技で言えばリベンジマッチとしてクレベル・コイケ2、ベラトールトップ選手との対戦が望まれますし、自身の格闘技団体「Breaking Down」やYoutubeの新しい企画も楽しみで仕方ないですよね!

これは、ますます目が離せませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました。